メキシコの貧富格差の中で見たチアリーディングは美しかった

Pocket
LINEで送る

スポンサーリンク

メキシコという国の負の側面をあげればキリがない。

「メキシコではメキシコ語が話されてるんでしょ?」という程度の知識の人ですらご存知のように、麻薬カルテルのドデカさや、ありえないほどの犯罪規模や残忍さは世界では知らない人がいないほどのものである。

しかもそのような内容が大体正しいということには鳥肌が立ってしまう。

そんなことからマフィアが蔓延る国という表現は全くもって的外れではないだろう。

また、知ってる人は少ないかもしれないが、実はメキシコには長者番付世界1位に輝いたこともある超お金持ちがいる。あのビル・ゲイツは世界中の誰もが一度は耳にしたことがあるのに、カルロス・スリムという名前に聞き覚えがある人は少数だろう。

「メキシコの通信王」カルロス・スリムの逆張り投資術

出典:世界一の大富豪に4年連続で君臨するカルロス・スリム氏とは?~生い立ちから現在に至るまで〜
  • ビル・ゲイツが3位に沈んだ2008年に1位に躍り出たのがウォーレン・バフェットで、2位がカルロス・スリムだったが、2010年から2013年までは、カルロス・スリムがビル・ゲイツを抑えて堂々の4年連続トップだったのである。
  • カルロス・スリムの資産がメキシコのGDPの7%を占めたというので大騒ぎになったのは、2012年のことだった。

ぼく自身もメキシコという国で暮らす中で彼のことを初めて知った。

「メキシコはスマホ料金が高いし、ガソリンも高い。全部カルロス・スリムがこの国を牛耳ってるのが問題なんだよ!」という友人の何気ない一言がなければたぶん今も知らないままだったかもしれない。

確かに調べてみると彼はメキシコ経済のトップに君臨している。メディアも、インフラも、金融も。とにかくあらゆる業界で彼の名前と金が動き続けている。

その割には全くもってメディアに出てくることはない。他の世界の富豪と比べるとあまりにも知名度が低すぎる。ビル・ゲイツも、Facebookのザッカーバーグも、ZARAのオルテガも、いろいろなメディアで自らの経営理念や生き様をぼくら凡人に見せつけてくれる。

一方でカルロス・スリムを映像で見かけることはほとんど皆無である。その理由はよく分からないが(もしかしたら彼が村上春樹並みにメディア嫌いなのかもしれない)、いろいろと裏の事情とかがあったりなかったりするのかもしれない。

さてこんな大金持ちが存在する一方で、貧富の格差はメキシコの大きな問題として横たわっている。日本のメディアも「格差社会」をに警鐘を鳴らしているが、メキシコの格差に比べれば日本には何ら格差は存在しないとすら感じてしまう。

海外で貧富の差を感じる場合、ホームレスや物乞いの存在が大きい気がする。

一億総中流社会の日本では物乞いなんて天然記念物に巡り会うくらいに物珍しいものであるし、ホームレスにしても生活保護を受ける権利を放棄してその日暮らしの人々が多い現状から考えれば、ぼくら日本人が貧富の差に初めて気付く瞬間と言えるだろう。

しかし、メキシコでは他の国にはない光景によって貧富の差という社会問題を認識させられることになった。

見知らぬ人にお金をあげるのは当たり前

ある日友人宅で真昼間に見知らぬ女性が訪ねて来た。肌が少し浅黒く小太りな典型的メキシコ人である。

ぼくは家の中から柵越しに友人とその女性が会話をしているのを見ていたところ、友人はすぐに家の中へ戻って来てバナナや飴玉や多少の硬貨を乱雑に集め、柵越しにうらめしそうな表情で待つ女性のもとへ向かい、それらを何食わぬ顔で渡したのだった。

物乞いというにはあまりにも丁寧すぎる訪問であるが、友人に聞いてみたところこういうことはここメキシコのモンテレイではよくあることらしい。

確かにぼくが滞在していた2、3ヶ月の間に、数回は彼らの訪問があったので確かに珍しいことではないのだろう。

「何か食べる物もしくはお金をください」と訪れる人たちは何かを貰えて当然といった表情をしているし、こちら側も当たり前のように家の中にある何かを与える。

そして、これよりもぼくにとって印象的だった場面がある。

スポンサーリンク

日々の路上パフォーマンス

驚くなかれ、メキシコのモンテレイでは車で出かけた時にパフォーマーに遭遇することがよくある。

こんな表現で彼らを描写すると「モンテレイでは街中でサーカスを見ることができるのか?」と訝しがる人がいるかもしれないが(そんな人はいないですかね?)、それはあながち間違った推測ではない。

というのも赤信号で車列が一斉にストップすると、待ってましたとばかりに道の端っこから車列の先頭へと躍り出る人がいるのだ。1人の時もあれば、2人の時もある。もっと大勢の時もごく稀に。

彼らは何かしらのパフォーマンスを行う。そして、パフォーマンスの後でしっかり観覧費を回収するためにせっせと車列を突き進む。ちなみに回収する時だけ現れる回収スタッフ(ぼくが勝手に名付けた)もたまにいる。

ぼくが遭遇したパフォーマンスを挙げると、ピエロの仮装をしたおばあさんがひたすら踊るものや、口の中から炎を吐き出すものがあった。ただひたすらジャグリングをするのもあったけど、あれは本当にひどかった。見せ場がゼロだった。

パフォーマーたちは赤信号の持続期間と回収時間をしっかりと体内時計に刻むことで、回収ミスや車に轢かれる危険との折り合いをしっかりとつけているようであった。

とびっきりの笑顔で飛ぶチアリーダー

そんな中、今でも鮮明に目に焼き付いている光景がある。

太陽が燦々と輝く夏真っ盛りのあの日、赤信号で停車したぼくらの目の前に現れたのは、バスケットボール選手のように高身長の男性とチアリーディングのユニフォームを着た女性だった。

先ほどまでバスケの試合が行われていたかのように、さも当然といった感じで現れた2人はパフォーマンスを始めた。

ありきたりな二流パフォーマーがほとんどの中で、なんとも爽やかな2人の登場は外国人のぼくだけでなく地元のメキシコ人をも期待させるものだった。

彼らが動き出す前から「こいつら何するんだろうか?」という高揚感に路上全体が包まれていた。

スタイルの良いチアリーダーはまっすぐ伸びた足を高々と宙に向かって伸ばす。「ハウツー笑顔」という本の表紙を飾るかのような恍惚のスマイルはぼくらを惹きつける。

この手のパフォーマンスは最初が肝心である。第一印象は単純な人間関係だけでなくこんな場面でも大事みたいだ。

彼女の美しくダイナミックなチアリーディングが終わると、ドッシリと構えたバスケ男は軽々と彼女を持ち上げて空高くポーンと放り投げる。

まるでトランポリンの反動を利用しているかのように跳び続ける彼女の姿に、車の窓を開けっぴろげた観衆は驚きと称賛の声をあげる。

彼らがお金目当てにやっていたのか腕試しでやっていたのかは定かではないけど、雲ひとつない空に向かって跳んだ彼女の勇姿はとにかく美しいものであった。

貧富の差について語る上でこのストーリーが何の意味を持つのかは全くもって分かりかねるが、こんな忘れられない出来事をここに書き記してみた。

様々な問題を感じることになったメキシコ滞在の中で、時間にすればたった数分の出来事がここまで記憶の中枢を彩っていることは不思議である。

メキシコという国は広い。ぼくが見た姿は大きなメキシコのほんの一部にすぎない。

Pocket
LINEで送る

スポンサーリンク

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です