ラティーノたちへの憧れから8ヶ月ほど中南米で暮らしてみた

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僕は2年ほど前にメキシコやコロンビア、キューバという国々で約8ヶ月ほど暮らしていた。

会社を辞めてその足で世界一周する人たちはたくさんいるけど、ぼくのように中南米の国々に絞って旅立つ人たちはそこまで多くないと思う。

その理由なんかについてざっと書き記してみる。

過去の思い出に浸りたくなった未来の自分と、中南米の文化に興味を持っている(今後持つことになる)であろう人たちに向けて。

まず初めに言っておくと、中南米へ向かった理由は、美しい海を目に焼き付けたくてとか、美味しい魚介類に舌鼓をうちたいからとか、インカ帝国時代の荘厳たる遺跡群を拝みにとか、そんないわゆるロマンの溢れた目的があったわけではない。

そもそも僕の旅へのモチベーションは昔も今も景色や食べ物から派生するものではないので、美しさや珍しさや美味から他の国へ足を運ぶことはない。今のところない。

ラティーノたちの生き方に心の底から憧れた

では僕はなぜ中南米へ向かったのか。

その理由の大部分はこの言葉で表すことができる。

僕は心の底からラティーノたちの生き方に憧れていたからだ。

は?なんじゃそれ?と思った人が大半であると思うが、これが心の底からの正直な僕のアンサーなのでしょうがない。

ぼくがラティーノたちに初めて出会ったのはカナダだった。

大学4年生を休学してカナダ・トロントへ語学留学に行った時、僕がいつもつるんで時間を共に過ごしたのは日本人や同じアジア人ではなく、日本から遠く離れた中南米で暮らすラティーノたちだった。

今の僕からは想像できないことであるが、僕はこのカナダ・トロントへの留学以前にはパスポートすら持っておらず、外国人の友人なんてたったの一人もいなかったのだ。

僕の祖母は海外へ行くことを告げるたびに、「またアメリカへ行くのかい。心配だねえ。気をつけるんだよ」と毎度毎度本気で心配してくれる。

祖母にとっては、「海外=アメリカ」であり、「海外=危ない」の方程式がしっかりと確立されているので、何度説明しても気休めほどにもならないようである。

ただ、僕だってほんの数年前カナダへ旅立つまでは祖母と大して変わらない価値観だったのだろうと今になって思う。やはり日本語が通じない環境にビビっていたし、日本よりも自己主張の強いガイジンたちに引け目を感じていたのは事実である。

そんなことで始まった語学留学。僕の根本的なマインドに大きな大きな影響を与えたのは、カナダ人ではなくラティーノたちだった。

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嫉妬させるほどのテキトーさ、開放感

カナダ・トロントは同じく留学生の多いバンクーバーとは異なり、アジア人だらけと言うわけではなく、いろいろな国の人々が暮らしていた。

中でもラティーノたちの醸し出す空気、存在感、ありえへんくらいの人懐っこさ、テキトーさ、愛の囁き、それら全てに僕は知らず知らずに陶酔しきっていた。

英語がどれだけ話せるかなんて関係なく、細かい文法が間違っていようが全く気にせず、自分の意見は何とかして伝える。

そして、かなりめちゃくちゃな文法で現在形と過去形が行ったり来たりするレベルだとしても、なんだかんだで言いたいことを相手に届けるところまで完了させる。

言語を学ぶ上ではやはり文法は重要であることは間違いないとは言え、彼らのテキトーさは間違いなくぼくらの国に足りない素晴らしい素養であると感じたし、間違うことを恐れないというか気にしない性格や、はっきりと躊躇なく意思を示す彼らに正直なところ嫉妬した。

嫉妬なんて感情をほとんど抱いたことのない自分が、これだけこのおぞましく救いようのない感覚に苛まされるなんて全く不思議なことであった。

「Lets go to the party!」

このセリフも何度聞いたことか。ラティーノ=パーティと言って反論する人なんてこの世界にたったの一人も存在しないであろう。それだけ彼らはパーティ大好き、語るの大好き、人が大好きだ。

メキシコ人、コロンビア人、ベネズエラ人、ペルー人。彼らのラティーノ同盟はものすごく力強かった。海外で暮らすと、日本人は韓国人と仲良くなることが多いし、やはり国と国がご近所であることは政治的な関係性なんて軽々と超越して人と人を結びつけるようだ。

ただし、ラティーノたちの結びつきは「仲が良い」という陳腐な言葉で表すことのできないものであると感じた。

ブラジルやその他いくつかの国々を除けば中南米のほとんどの国ではスペイン語が話されていることからも分かるように、中南米諸国ははるか昔にスペインの植民地となり、そしてその後独立を勝ち取ってきた歴史を持つ。

彼らの母国愛はそんなこともあってかやはりものすごく強い。ワールドカップの盛り上がりなんかを観ればそれは一目瞭然であろう。

そして、共に同じ共通言語であるスペイン語でコミュニケーションを取ることができて、顔の造りも似ているとあってか彼らは出会ってすぐに打ち解けている。「hermano(兄弟)」と互いに呼び合う彼らを見ていると何ともほっこりとしたのを覚えている。

ラティーノたちと時間を過ごしていると、否が応でもマイナス思考よりもプラス思考、つまらないと考えるよりも楽しいことを考えよう、失敗を嘆くならば愛を囁こうと、そんな風に生き方さえも前向きになれる自分がいた。

というか、そんな風に変わっていく自分に気づくことになった。そして、それが誇らしく、前を向ける自分が物凄く好きになった。

メキシコ人の友人エマニュエルに教わった僕の初めてのスペイン語は今でも忘れない。

「Quiero ser tu novia(おれと付き合ってよ)」
「Eres caliente(君、すげーホットなだね)」

ふざけて教えてくれたこのしょうもない2つのセンテンスをひたすら飽きもせずにラティーナたちに披露した。

今思えば全くガキんちょすぎて笑ってしまうことでも、あの頃は知らない言語を使って人を笑わせることが単純に面白かったし、何だかぼくもラティーノ同盟に加わることができているようですごく嬉しかった。

愛の深さ素晴らしさをラティーノから教わった

ここまで語ってきたことから僕がどれだけラティーノが好きで、彼らの生き方に共感しているかが伝わったかと。

以前から哲学や心理学にものすごく興味を持っていたぼくは、「どうすれば幸せに生きることができるのか?」という漠然として答えのない中二病を患っていた。というか、アラサーになる今でもたびたび頭を駆け巡るのでまったくこの病には困らされる。

この問いの答えは誰もが自分の独断と偏見で勝手に導き出せば良いものである。経験と、実践と、思考とで精査して。そして、僕の一応の答えというのはラティーノからの影響がものすごく大きいということをここで話しておかなければならない。

ラティーノはテキトーでスケベでロマンティックであるのは周知の事実であり疑いの余地もないことであるが、やはり「愛」で溢れているというところも忘れてはならない。

家族愛、友情、情熱的な愛。愛に生きて、愛に苦しみ、愛で笑い泣き喜び悲しむ。彼らは生まれながらにしてそんな愛にどっぷりと浸かって成長をしていく。

ホームステイ先で同居していたメキシコ人のアルテューロは毎日のようにお母さんにskypeでビデオ通話をし、ぼくはなぜか彼のお母さんに「Hola」と笑顔で挨拶していた。(アルテューロは毎日僕を見つけては「Say hi to my mother(ぼくのママに挨拶してくれよ!)」と言ってきたわけであって)

カナダに到着後1週間ほど両親にメールすらしていなかったぼくとはまるで正反対である。マザコンという言葉がどのように使われているかは日本でも意見が分かれるところではあるとはいえ、おそらくラティーノの間ではマザコンなんて言葉は死語というか存在すらしないのであろう。

「僕を産んでくれたお母さんを愛さないでどうするんだ?」と何の躊躇もなく笑顔で語るアルテューロに僕は何も返す言葉なくただただ微笑んでいた。

親子というものをどこか気恥ずかしさを感じる存在として捉えている自分とは全く異なる価値観を持ち合わせる彼は、感じたことのないような爽やかな圧倒的なる輝きに満ちていた。

これが愛なのか。すごいぞ、愛。

言葉やハグだけで愛の質量を推し量ることなんて出来ないということは百も承知である。それでも言葉に出さなければ伝わらない想いは確かに存在していて、たった一言伝えきれなかったことが原因で歪みをきたしてしまうこともあるかもしれない。

そんなやるせない後悔はしたくないし、いつもいつだって愛のある、愛に包まれた人でいることはやはり幸せに繋がるとそう短絡的とは言え考えてしまうのである。

そんなこんなでぼくはラティーノたちが大好きになった。

これらの正当な理由の他にも、単純にコロンビア人やベネズエラ人のナイスバディーな女性に魅了されたことも、ぼくを中南米に引き寄せた一因であることはここでは深く掘り下げないでおこう。

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