今までの人生で約20カ国の国々を訪れたり滞在したりしてきたけれど、今でも時々思い出すのは誰もが訪れる観光地や有名レストランではなく、街の名前を知らないようなところで出会った人々だったり、その時の経験だったりする。
それはぼくの一番好きなキューバという国でも同様で、約3ヶ月ほど滞在したキューバの地でぼくはハバナ大学のスペイン語コースに通い、世界中の留学生とサルサを踊り、ビニャーレスやトリニダーという有名な観光地にも足を運んだ。
そんな充実した生活の中でぼくが今でも思い出す出来事は、友人を訪ねてバスを乗り継ぎ今では名前も忘れてしまった街を訪れた時のことである。
目次
1度きりの出会いから何かが始まることもある
ぼくがキューバという国を初めて訪れたのは約2年前の夏だった。学生の頃から訪れることを決めていた国は、想像の遥か上をいくほどのインパクトをぼくに与えてくれた。
はじめに2週間キューバへ旅行で訪れた。わずか2週間ほどの滞在ではキューバ訛りのスペイン語からは癒しを感じるまでになったし、サルサのサの字も分からなかったぼくが踊ってみようという気持ちにもなった。
この短期間で10代の頃から訪れたかった国のことが分かるわけがないと感じたぼくは、その後一旦メキシコへ戻った後で再度キューバにて2ヶ月間滞在することに決めた。
情熱の国キューバを再訪したぼくは、ひょんなことから友人になったハビエルに連絡を取ることにした。彼とはオビスポ通りの外れにある古本市にて出会い他の友人とともにマレコンを散歩した。
そんな一度きりの出会いだったにもかかわらず、絵と政治が好きな彼の話をもう少し聞いてみたいという気持ちと、ハバナ大学で授業が始まるまでの時間を持て余していたということから、ノートの切れ端に書いてもらった住所へ行ってみることにした。
今思えば、連絡もせずに、しかも異国の地で一度しか会ったことのない人の家へ向かうなんてものすごくおかしなことなのかもしれないけれど、旅はそんなふつうの感覚を歪めてくれる。それもまた旅の良さではないだろうか。
ハバナから1時間以上離れた街へバスを乗り継いで向かった
宿泊しているカサの宿主に話を聞いてみると、ぼくの友人が暮らしているエリアはハバナから少し離れたところにあるとのことで、ローカルのバスを乗り継いでいく必要があった。
前回ハバナに2週間滞在した時はすべてタクシーかチャリタクシーでの移動だったので、バスの乗り方なんて全く分からなかった。
とりあえず住所をバスの運転手に見せてお金を払おうとしたけれど、地元のキューバ人しか乗らないバスなので当たり前だけどCUP支払いだった。その時運悪くCUPが手元になかったぼくだったけれど、運転手のおじさんは「Esta bien(いいよ)」と言って無銭乗車させてくれた。
こういうことはいろいろな国に行っていると結構頻繁に起こりうることなので、特別キューバだからというわけではないがそんなこともあったなと今になって思い出した。
友人は不在だったけれど、お母さんが家の中に招いてくれた
ハバナを出発して1時間以上経っただろうか。記憶が定かではないけれどたしか2回くらいバスを乗り継いだ気がする。そして、ようやく目的の住所まで辿り着いた。
チャイムを鳴らしてみると友人の両親が出てきた。ぼくは何と説明しようか迷ったけれど、とりあえず「ハビエルの友達なんです」と言ってみた。
アジア人なんてほとんど見かけないキューバで、突然見ず知らずのアジア人が「息子さんの友達なんです」なんて言ってきたらびっくりというかものすごく怪しい感じだなと、我ながら今になって思う。
けれど、ハビエルのお母さんは満面の笑みで「ごめんね、ハビエルは今友達の家に遊びに行ってるのよ。まあせっかく来たんだから入っていきなさいよ」と家の中に招いてくれた。
親が子供を認めてあげることの大切さ
キューバ人の家に入るのはこれで人生2度目だったのでなんだかとてもワクワクしたのを覚えている。(1度目はもちろんぼくが長いこと世話になったセントロ・ハバナのカサである)
家の中はとても質素だった。おそらくキューバ人の暮らしをイメージしたそのままのものであろう。
ハビエルのお母さんはありえないくらいフレンドリーで、息子ハビエルのことをたくさん話してくれた。出会って5分もしないのに、すでにぼくはこの人と長きにわたって友人であったかのような錯覚にさせられた。
この時の感覚はキューバに滞在している中で何度も感じたことなので、この国の人々の魅力のひとつであることは間違いない。メキシコで感じたフレンドリーさとはまた一味違った人と人とのつながりがキューバにはあった。
漫画家になりたいと言ったハビエルだったが、お母さんが見せてくれた絵を見て、すごい才能を持っているのではないかとびっくりさせられた。
どれも味のある素晴らしい作品ばかりである。ぼくは絵を専門に扱う人間ではないので細かいことはわからないけれど、彼の描く絵はどれも力強いものばかりだった。
漫画家になりたいというだけあって、こちらはかなり本格的である。日本の漫画にかなりインスパイアされているのがとてもよく分かる。
こんなに素晴らしい絵の才能に加えて、キューバの政治や歴史についても詳しい彼はきっとこれから大物になるかもしれない。
それにしてもハビエルのお母さんは本当に嬉しそうに息子について語ってくれる。ラテン系の家族愛の深さについてはキューバを訪れる前にメキシコで暮らしていたので知っているが、やはりこれだけ両親が自分のことを認めてくれるのは赤の他人であるぼくから見ても気持ちのいいものである。
ぼくの両親もぼくが下した決断に対してほとんどNoを言わずに認めてくれていた。やはり子供を認めるということは親の義務のようなものであると思うので、自分の子供ができた時は一番の応援者、理解者として常に子供の人生を肯定し続けたい。
見ず知らずのぼくに親切にいろいろなことを教えてくれるハビエルのお母さん
その後も、家の中を案内してくれたハビエルのお母さん。すると、大量の本がこの家にあることを発見した。息子が物知りになるわけである。
ぼく自身もかなりの読書好きなので、この光景には目が輝いた。知識欲に勝るものはなし。勉強熱心なキューバ人の典型を見ているようである。
そして、一番驚かされたのは、ハビエルのお母さんがあの世界のマイケル・ジャクソンの大ファンだということ!
典型的キューバ人の家庭にマイケルのポスターが一枚だけ貼られていたのが何だかとても違和感があったけれど、ハビエルのお母さんは「マイケルが本当に好きなの、もうこの世にはいないけど彼の音楽はいつまでも生き続けているわ」と言っていた。
マイケルのどこが好きなのか質問はしなかったので、理由については定かではないけど、何だかとてもいいなと感じた。言葉では説明できないけど、ぼくはこの写真がとても好きだ。
その後もハビエルのお母さんは、部屋の中でぼくが何かに少しでも興味を示すといろいろと説明をしてくれた。
海外では常にカメラをぶら下げているぼくはひたすらにシャッターを切りまくった。
たぶんそんなぼくの姿は彼女からしてみればかなり滑稽に映ったのかもしれないし、はたまた少し喜んでくれたのかもしれない。
ただ一つ確実なことは、突然現れた見ず知らずのぼくに対して本気で向かい合ってくれたことである。
その後、なぜかご近所さんにもぼくのことを紹介してくれた。「息子の友達の日本人が来てくれたのよ」と満面の笑みで伝える姿に、何だかぼくもとても嬉しい気持ちになった。
キューバのおばちゃんたちはみんな陽気でおしゃべりであったかい。フレンドリーという言葉はただ単に誰とでも仲良くなれるだけでなく、誰でも受け入れるという意味も含まれているのだと思う。
そう考えればキューバのおばちゃんたちはまさにその言葉を自然体で体現していると言えるだろう。
お姉さんがフロリダへ行った理由を尋ねることはできなかった
最後に家族写真を見せてくれた。赤ちゃんのハビエル。
ぼくと同じでひとりっこの彼は両親の愛をたっぷりと受けて育ったのだろう。今回ここには載せていないたくさんの微笑ましい写真もたくさん見せてもらった。
そんな写真の中に1枚の女性の写真があった。
誰なのか尋ねてみると、ハビエルのお母さんのお姉さんとのこと。今はアメリカのフロリダに住んでいるということを言っていた。ぼくはその手の在米キューバ人の話題にはかなりアンテナを張っているほうなので、正直聞きたいことは山ほどあったわけだけど、何も聞かなかった。
お姉さんがアメリカに渡った理由を知ることができて、それで一体何を得られるのだろうか。ぼくの好奇心はいつも向こう見ずなところが多いと自負しているが、この時ばかりは自制心が働いたようだ。
そこまで悲しい過去ではないかもしれないし、たまにキューバに帰ってきたりもするのかもしれない。でも、ぼくはそのことについて尋ねるべき人間でもないし、ぼくは何よりハビエルのお母さんとお父さんに笑顔で「Hasta Luego(さよなら)」が言いたかったのだ。
人と人との出会いこそ旅の醍醐味である
別れ際、ぼくは二人のツーショット写真を撮らせてもらった。どうかな?いい笑顔が引き出せたと思う。
この1度だけの出会いだけど、時間にすれば2時間ほどの出会いにすぎないけど、ぼくは今でもキューバでの時間を思い出す時に真っ先に彼らの笑顔が頭に浮かんでくる。
パリに行ったらエッフェル搭に行くだろうし、NYに行ったらタイムズスクエアに行くだろう。それを否定するつもりはないし、むしろぼくだって一応行ってみると思う。
でも、今までいろいろな国を訪れた中で忘れられない思い出として残っているのは、やっぱり地元の人との出会いであり、そして別れだなと。
どんなに便利な世の中になっても、人間の心だけはシステムでは変えられない。旅の醍醐味である感情の起伏は人と人の出会いから生まれると思ってるからこそ、そんなひとつひとつの出会いを大切にしていきたいと、そう日々感じている。
めちゃくちゃ長くなりましたが、読んでくれた皆さまありがとうございました。