「キューバの外の世界を見てみたい」ハバナで出会った若者たちの本音

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キューバという国に興味を持ち始めてからずっとこの国で暮らす人たちが実際はどんなことを考え、どのように暮らしているのか知りたいと思っていた。

そのためには彼らの母国語であるスペイン語で会話をするのがやはり一番であると思い、ぼくはキューバを訪れる前にメキシコやコロンビアに少しの期間滞在することで、スペイン語がある程度話せるようになった。

どの程度話せるようになったのかはこちらの記事を読んでもらえれば何となく分かってもらえるかなと。

たった3ヶ月でスペイン語を話せるようになったぼくが実践した10個のポイント

ぼくはキューバの首都ハバナを訪れ、とにかく興奮しっぱなしだった。街並みも、建物も、人々も、熱気も。何から何までぼくがイメージしていたよりも遥かに素晴らしいものだったから。

いや、素晴らしいという言葉なんかよりも、そう『生きてる』という感覚を味わうことができたのだ。

見知らぬ人から「チノ!」と笑顔で呼ばれてからはじまる自然すぎる会話だったり、音楽がかかれば身体がリズムを刻み出すキューバ人の姿だったり、遠慮や恥ずかしさが綺麗にムダなく取っ払われていた彼らの生き様に『生きてる』と、そう感じた。

そして、そこにぼくは心惹かれたわけである。

キューバ人の本音を聞いてみたい

しかし、先進国の日本から来た『お金持ち』のぼくは、やっぱり知りたかった。

キューバ人はどんなことを考え、どんなことを不満に思っていて、そしてどんな未来を思い描いているのか。

目に見える負の部分、よく耳にする負の部分だけではなく、人々の本音というものを確かめたてみたかった。ぼくがキューバに自分の足で訪れた最大の目的はそこだったのだから。

もちろん社会主義のキューバでは、表立って政府の悪口や批判めいたことをするなんて以ての外だし、人々はある意味で監視し合っているという話だって聞いたくらいだ。だからキューバ人の本音を聞き出すことはたやすいことではない。

そんな中、ぼくが偶然出会い友人になったのがハビエルとグレシアだった。

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18歳のキューバの若者との出会い

その日、ぼくはハバナ旧市街のオビスポ通りをフラフラと彷徨っていた。古本や骨董品が売られているところがあり、ちょうど目に入ったレーニンの似顔絵が描かれたピンバッジを手にとって、店主と談笑し合っていた。

そこにちょうどキューバ人らしき若者が現れた。

どんな言葉が会話のスタートになったのかは定かではないが、目が合えば軽い挨拶をするのがぼくの流儀なので、おそらくぼくがスペイン語で何か話しかけたのだろう。(スペイン語に触れ始めてから5ヶ月目くらいだったので、一番言語の伸びが感じられて楽しい時期だった)

彼らはその当時18歳。ハビエルとグレシアというキューバ人の若者だった。

アジア好きなグレシアは日本人のぼくと会話ができるのがとても嬉しかったようで、「今から一緒に散歩でもしよう!」という話になり、出会ってすぐに意気投合したぼくたちはマレコン沿いに向かうことに。

あとで聞いた話によると、グレシアは大の韓流好きで、韓国のミュージシャンを次々と並べられたわけだが全く興味のないぼくにとってはただの記号の羅列にしか過ぎなかった。日本と韓国は近いからぼくが韓国に詳しいと単純に考えていたのかもしれない。

歩いている途中ではハビエルがキューバ社会について、歴史について、豊富な知識をたくさん披露してくれた。キューバに興味があるぼくが珍しく見えたのか、それともキューバという国について知ってほしいという思いからか、彼の話はほぼノンストップで歩いている最中ずっと続いた。

キューバの憲法を常に持ち歩き、そのほぼ全てを理解し覚えているという彼の飽くなき探究心は、中南米随一のインテリ国家とされるキューバのイメージそのものだった。

日本では全く知られていないことだとは思うけど、キューバでは教育が無料ということもあってか、識字率は日本を凌ぐほどであるし、周辺諸国と比較すればありえないほどに学校で学ぶことが当たり前になっている。

ここまで読んで、社会主義国家の憲法を常に持ち歩き、それをスラスラと説明できる彼の姿から単なる社会主義に傾倒した若者と捉えた人もいることだろう。

しかし、彼はやはり現代を生きる若者なのだ。

一通りキューバの文化や歴史について語り終えると、彼はおもむろに何かが描かれた紙を何枚か取り出した。

「これはぼくが描いたマンガなんだよ。日本人から見てどう思う?」

ぼくはそこまでマンガの世界に詳しいわけでもないので何と答えて良いか迷ったわけだけど、恥ずかしそうにマンガを見せた彼の姿に、良いという答え以外の返答はぼくの選択肢にはなかった。

「いいと思うよ!へー、マンガが好きなんだね!日本ではマンガの文化があるよ、知ってる?」

「もちろん!ぼくの夢は日本でマンガの勉強をすることなんだ。日本は本当に何でもあって、何でもやりたいことができてとても羨ましいよ」

日本でマンガの勉強をするという夢。これはキューバ人にとって途方もない夢である。そもそも月給数千円のこの国で、飛行機に乗って他の国に行くなんてことが夢のまた夢であるこの国で、どうやって航空券を買い留学費用を賄うことができるのだろうか。

彼の純粋な『夢』に対して軽はずみな「やってみればいいじゃん!」という一言は口が裂けても言うことができなかったし、絶対に言ってはいけないのだ。

彼はそこから少しの間日本という国とキューバという国を比較して、どれだけ自分たちの人生には制限が多いのかということをぼくに語った。

それはぼくという人間に対して言ったものではなく、どこかキューバという国に対しての不満を吐き出しているようにも見えた。

冗談口調で笑顔を見せながら語る彼の姿がぼくには痛々しかったし、それに対してその時のぼくには返す言葉は全く見当たらなかったことを覚えている。それは、あれから3年ほどたった今もそうである。

「キューバの若者の多くは外国に行ってみたいと思ってるのよ」

ハビエルだけでなくグレシアもこんなことを言っていた。グレシアは看護師を目指す学生だ。

「そうだよ。オビスポ通りに行けば外国人と知り合うことができる。でも、ぼくたちは外国人とあまり仲良くしすぎるとたまに注意されたりもするんだ。だから、そこまで親密にしたりはできなかったりするけど、キューバの外の世界のことを知ることは難しいことじゃない」

ハビエルは言った。

キューバは変わるべきだと思う?

彼が見せてくれたマンガからこんな展開になるとは思っていなかったが、熱い彼らの想いに感化されたのか、ぼくは率直にこんな質問を投げかけてみた。

「キューバは変わるべきだと思う?」

ぼくのような部外者がキューバ社会について言及するような質問をキューバ人にするということは、ある意味でとても失礼なことである。

これはこの国で短い時間ながらも過ごした中で感じたこと。彼らの不満を引き出して何になるというのだ。何もしてくれない先進国から来た金持ちに話したところで何も起きないし何も変わらない。

でも、この時は彼らと本音で語るべきだと思った。ぼくに何ができるかなんて分からないし、むしろ何もするべきではないのかもしれない。でも、知りたいという気持ち、彼らと未来について語りたいという気持ち。それを抑えることはできなかった。

二人ともぼくの質問に少し考えている様子だった。

そして、少しの沈黙のあとでハビエルはこう言った。

「ぼくたちのような若者は変わってほしいと考えているはずだよ。ラウルに政権が変わってから少しづつ変化が起きている。これを良いと捉える友人たちはとても多い。ただ、両親の世代、それより上の世代の人たちがどこまで変化を望んでいるかは分からない」

「私はアジアに行ってみたい。本当に。でも、外国との距離が近づくことでキューバがキューバではなくなってしまうのはイヤだという想いもある」

グレシアは複雑な心境を言葉にしてくれた。

キューバ人との友情

「キューバ人と友達になることは難しい」

そういうことを言う日本人は本当に多い。でも、これは単純に言語の問題であることも多いのではないかと。

彼らの母国語はスペイン語。中南米の周辺諸国と比べても英語のレベルはガクンと落ちる。なので、キューバ人とコミュニケーションを取るにはどうしてもスペイン語を話す必要がある。

そして、日本人の多くはスペイン語を全く理解できないので、「キューバ人が近づいてくるのはおごってほしいだけ」という風に感じることが多いというわけだ。

ぼくにとってのはじめてのキューバ人の友人はこのハビエルとグレシアだった。彼らにとってのぼくがどんな存在だったのかは分からない。でも、アイスクリーム屋に行って、「君はこの国を訪れたゲストなんだからお金を払う必要はないんだよ」と言って、アイスを買ってくれたハビエルの姿を疑うことなんてできるわけない。

この二人だけでなくぼくには何人ものキューバ人の友人ができたし、彼らは何の利害関係もなく、ただ一緒に踊ったり、笑ったり、冗談を言い合ったりする友人だった。

だからこそ彼らのような若者が希望を抱ける未来が来ることを願っているし、それは決して不可能なことではない。そう思っている。

と同時に、日本人というだけで可能性に溢れているという事実に、しっかりと前へと進まなければという責任のようなものさえ感じる。前へ前へ、諦めることなく人生を歩んでいきたい。

アメリカとの国交回復

彼らとの出会いから約1年。ぼくがキューバでの3ヶ月の滞在を終えたちょうどその頃、アメリカのオバマ大統領がキューバとの国交を回復するとの宣言をし、そしてそれが実際に行われた。

これをオバマ大統領の任期中の最後の点数稼ぎと捉えるメディアや識者も多くいたし、ぼく自身もどこまでの可能性を持ったものであるかについてはかなり懐疑的であったことは確か。

アメリカと国交回復のあとで目に見える変化はある。Facebookやインスタグラムを利用し始めたり、何だか世界との距離がぐっと近づいた感じはする。

でも、根本的にはやはりアメリカからの経済封鎖は未だに続いているわけで、大きなシステム自体が変化しないことには何も変わらないのではないだろうか。

そして、変化だけがすべてであるわけでもなく、キューバ人が望んでいる未来というものは年代によっても様々であることは間違いないわけで。

ただ、ぼくはハビエルとグレシアのような若者たちの可能性が何とかして広がるような社会になることを願っている。大好きな国キューバだからこそここまでいろいろな情報を追いかけているし、それはもはやライフワークのようなものになりつつある。

近々またキューバを訪れようと考えている。その時にハビエルとグレシアは笑っているのだろうか。彼らの笑顔がまた見たい。

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